requiem prayer

あの人が死んだということを知ったのが、その場に居る人よりもかれこれ30分は遅かったのだ。致し方ない。誰も何がどうなったのか教えてくれなかった。耳は閉じてないのに聞こえないのだ。
それから皆して慌しく動き始めて、私だけがどうしようも無く混乱していた。会話の端々から漏れてくる情報を必死で整理する。詰まる所、「あの人が死んだ」ということだ。
 
人が死んでも泣かない男であった心算。
 
保育園の頃に婆さんが死んだ時は泣かなかった。中学生時に爺さん二人が死んだ時も泣かなかった。大学生になって叔父が死んだ時はぐらっと来た。

年を重ねるに連れ、涙脆くなるのか。在りし日の係り及び断絶をより認識する所為なのか。
 
あの人の亡骸を見て、装束を着せられていく姿を見て、あの人の父親が気丈な振りをしている姿を見て。

あの人の友人・知人が酒を呑んでいるところから離れて、独りであの人が吸っていた銘柄の煙草を吸っていると何だか泣けてきたのだ。

あっさりと逝ってしまったのだ。あの人は。
置いていかれた様な気がしたのだ。そんな気は更々無かったのだろうけれども。