思考の断片であるからさして意味はない

人がそれを「好き」という時にどういう意図を持って発言しているのかを読み取らなければならない。「嫌い」という場合も同様である。
とある人がある作品を貶す場合がある。「貶す」のである。嗜めるでも無く、批評するでも無く、批判するでも無く、貶すのだ。ことさら欠点を取り上げて悪く言うことが「貶す」だ。貶す場合には美点を取り上げることは無い。良作であっても貶される場合は往々にしてある。
批評家は貶してはならない。貶した時点で彼または彼女の行為は批評から逸脱する。彼または彼女はその作品の良い点・悪い点を指摘し新しい読みを模索し示すことを生業としている筈では無いのか。手が重い。
さて。
作品を貶すことと作者及びその作品の読者を貶すことは等価だろうか? 作者を貶すことは可能であるし、作品を貶すことも可能である。また作品を貶すことを通して作者及び読者を貶すことも可能である。が、等価では無い。眠い。
熟考もせずに書いているので、この文章には全く意味が無い。
さて、眠いので寝る。一限から授業があるのだよ、全く。
関連している話はごくたま昨日日記とかたそがれSpringPointとか同時代ゲームとかにあると思う。リンクを張るのも面倒臭い。更にidを調べるのも面倒臭い。私の文章には全く意味が無い。貴方の時間を無駄に消費してしまったことを詫びる他無い。私は寝て起きてまた考えることにする。