memo - 反証可能性

昨日話し合っていたことについてのメモ。
論理実証主義ウィーン学団・マッハ・カルナップ・シュリック・ポパー辺りがキーワード。後、ポパー自身は論理実証主義者ではないらしいよ。
ある文が有意味であるか無意味であるか判断するための基準を意味基準と言う。
検証可能性とは、ある文があっているかどうか検証出来るということである。
検証可能性をもって意味基準とするとどうなるか。「2H2+O2→2H2O」という文は、厳密には検証不可能であり無意味と判断される。大抵の文はこの検証可能性を意味基準とした場合、意味基準が厳し過ぎて、一般に有意味と思われる文すらも無意味と判断されてしまう。
反証可能性とは、ある文が間違っていることを証明できる手続き・方法が明示できるということである。
こちらは文が反証の試みに晒されていると言ってよい。今のところ反証されてないけど、反証可能だから、有意味ですという訳だ。
で、反証可能性が有用で無いケースとして「風切羽だけが白いカラスが存在する」というのを考える。カラスの個体数が有限であれば、全てのカラスを捕まえて調べれば反証可能。けれどもカラスの個体数を無限とすれば反証不可能になってしまい、この文は意味を持たなくなる。個体数が無限となる様なサンプル文は簡単に考えることが出来る。
で、大抵の科学哲学系の話に関しては対角線論法を使うと面白いことになるので思考実験をお勧めする。
意味基準自体に意味基準を噛ませる。
やってみ。
さて歴史的な事件というのは反証可能か? 反証可能な人は誰だ? 時間を巻き戻すのは人間に可能なのか?
っていうのが極東ブログ 2003/12/04 「センター試験以降の世代」という壁と知識化人(ナツ)のハッピー日記@?D 2003/12/02を見ていて話していたこと。