test その2

この大きい街を歩いたり、田舎を旅行したりすると、目の前にはゆううつな光景が展開される。通りを歩けば、街路や人家の入り口に女乞食が群がっている。その女乞食の後に、三人、四人、六人と子供がついてきている。みな襤褸をまとい、道行く人に施しを乞うているのだ。彼女たちはまっとうな暮らしができるような仕事に就けず、日がな一日うろつきまわり、無力な子供たちのために食を乞わねばならない。子供が成長したとしても、仕事がないので泥棒になるか、懐かしい故郷を棄てて、スペインから王位を窺う者のために戦うか、バルバドス島に身を売ったりしなければならない。

当事者であれば、以下のことに同意してもらえるだろう。我が王国において、厖大な量の子供が、乞食である母親(父親のときもある)の腕に抱かれたり、背中に背負われたり、後ろを歩いていたりしている。子供たちは悲惨な状態にあって、非常に多くの問題をもたらしている。それゆえ、子供たちを社会にとって健全かつ有用な社会的財産にするための、公正で、安価で、簡単に実行できる方策を発見できる者がいるならば、その者は社会にとって望ましい人であるから、国家の保護者として銅像を設置するに値しよう。

だが私の目的は、ただ公然たる乞食の子供を救うにとどまらない。より広義の目的は、ある特定の世代における子供全体の数を減らし、その子供を産んだ親を実質的に援助し、それによって通りで慈悲を乞う人々を助けようとすることにあるのだ。

私は数年間、この重要な問題について思いをめぐらし、他の方々の計画を慎重に見ていった。その結果、この方たちは大きな計算違いをしておられると考えざるをえなかった。確かに、生まれたばかりの赤ん坊は、丸一年間は母親の乳で育てられ、他の食べ物はわずかですむ。二シリングもあれば十分だろう。母親もそれくらいの金や残飯は、乞食商売で正当に稼げるだろう。私の提案は、子供が丸一歳になった時に救いの手を伸ばそうというものである。この提案を実行すれば、子供が両親や教区に負担をかけたり、死ぬまで衣食に苦労させるかわりに、何千もの人々に食料と(幾分かは)衣料を提供することになるのだ。

私の提案にはもう一つ大きな利点がある。それは、堕胎を防止し、母親が私生児を殺すという恐ろしい事態を防ぐことができるのだ。ああ! そんなことが我が国で横行し、無垢な赤ん坊を死に追いやっているのだ。おそらく恥辱を隠すためというよりは出費を避けるためであろうが、これにはいかに極悪非道な者の胸にも同情の涙を催さずにはいられないであろう。